生まれ育った故郷、アンダーグラウンドな環境
Awichの生まれ育った場所は沖縄県那覇市、沖縄はその広々とした環境性からかアンダーグラウンドに生きる人も少なくはない。
そんな環境下で幼少期を過ごしたAwichは自然と回りの影響も受けていく、米軍基地にあこがれを持ち9歳ごろから日記や詩を書き始めた彼女は沖縄の環境を良い方向に受けていったと感じ取ることができる。
そんな彼女の故郷・沖縄の風景を映し出した曲もリリースされている。
ラッパー誕生秘話、中学・高校時代
沖縄県は在日の米軍の多さからテレビになんと海外向けのチャンネルがあるほど、そんな海外向けのTV番組でラップに興味を持ち始めたAwich、さらに当時彼女はラップ界のレジェンド2pacの曲に衝撃を受けてアーティストとしての活動を始める。
そんな中学時代を過ごし、ラップのリリック力や海外に触れて英語力も同時に身に着けていた彼女、もうこの時点で彼女がラッパーになる未来は決まっていたのかもしれない。
それだけではなく彼女は地元のラップバトルにも積極的に参戦、スキルも同時に習得していき才能は徐々に日の目を見るようになっていった。
沖縄県には、有名な楽曲プロデューサーが多く存在している、そういった環境も彼女にとってはいい方向への刺激を与えたに違いない。
かくいう彼女も地元のプロダクションに所属、音楽家としての活動に拍車がかかっていたに間違いない。
海外へ留学、勉学にも打ち込み恋もする青春時代
音楽活動にのめりこみながらも彼女はこう思っていた。
沖縄の音楽シーンをこの先広めていくためにビジネスも学んでいきたい
そう考えを巡らせていた彼女は高校卒業後、アメリカ・アトランタの大学へ行きビジネスを学ぶ決意をする。
留学先のインディアナポリス大学では起業学・マーケティング学の学士号を取るというラッパーでありながら知識をも持ち得る最強スペック、ここから先の未来彼女を超す女性ラッパーは出てこないのではと思わせられる。
大学在学中にAwichは地元の14歳年上のアメリカ人男性と出会い恋に落ちる、大学を卒業後その男性と結婚を果たし同時に長女も授かる。
娘の名前はトヨミ・ジャミラ、娘もライブでAwichと共演しラップをしたり彼女自身『Jar Love』という曲をローンチ。
リリックの中に出てくる『このミドルネームが唯一の形見』となき父親に向けたメッセージも出てきます、せつないですね…
MV最後のAwichのメッセージもアツすぎる!
Awichの旦那との死別、壮絶すぎる過去
彼女の旦那は調べてもあまり情報が出てこないが、旦那は麻薬の密売人として生活をしていたそう。
よく刑務所を出たり入ったり…Awichがなんと妊娠しているその時でさえ刑務所にいたらしい。
そんな人と結婚したAwichも中々ヤバすぎる…恋は盲目ってことかな…
Awichの旦那は、ストリートギャングのファイブパーセンターズに所属、かなりアブないやつだったと噂が流れている…
ファイブパーセンターズとは、黒人系のイスラム団体の一つ、ラッパーのJay-Zが首にいつもつけているアクセサリーがそのギャングの象徴である「ユニヴァーサル・フラッグ」「ファイブ・パーセント・フラッグ」である、海外ヒップホップが好きな人はもしかしたら聞いたことがあるぐらい有名なギャンググループである。
日本では考えられないが、ヒップホップのビーフ(言い争いや喧嘩)で普通に人が死ぬぐらいヤバい環境、ちなみにアトランタもまぁまぁヤバい環境であり同時にヒップホップの町でもある。
有名どころだとYoung ThugやGucci Mane、21Savageもこの町の出身。
ある意味ラップ界の聖地ではあるよね…
そして2011年、Awichが里帰りしていたその時に夫はタイミング悪く銃殺されてしまう。丁度みんなで日本に移住しようと話を進めていた目下の出来事であった。
彼自身、娘も生まれ更生し清掃員などとして働いていたらしいがギャングの世界は甘くなかった。
旦那の死後は「死んだら海に流してほしい」という遺言通り、沖縄の海に遺灰を流したそう。
Awichは「誰もいないビーチで、二人きりで灰まみれになりながら、その灰が風になり、水になり、娘の肌に、ここになるようにと願った。」と述べている。
帰国後の活動について、まとめ
Awichは帰国後、子育てとラッパーを両立させる。
彼女はkZmやMonyHorseといった人気ラッパーが所属しているYENTOWNに加入、ラッパーとしてすぐに頭角をあらわし2018年開催のSUMMER BOMBでは初登場にしてオオトリを務めるなど大活躍を収めた。
先日武道館でライブ公演の大成功を収めたばかり、今後の活躍に期待だ。